今年6月から選挙権年齢が20歳から18歳に引き下げられます。2歳若返るだけでなく、これまで政治とあまり接触する機会がなかった高校生も政治と関わりを持つようになります。この機会に政治とは何かを一緒に考えてみましょう。永田町の裏事情にも触れつつ、進めたいと思います。
今年1月、甘利明経済財政・再生相が辞任しました。建設会社から受け取った金銭の一部が政治資金収支報告書に記載されていなかったことを週刊文春にすっぱ抜かれました。
■大金のやりとりは減った?
ほら見ろ、政治家はみんなカネに汚い連中なんだ。そう感じた有権者が多いと思います。甘利氏が閣僚を辞めたのは当然ですし、甘利氏をかばう姿勢をみせていた安倍晋三首相や菅義偉官房長官らの倫理観にも首をかしげます。
ただ、政治を汚らわしいものと批判するだけではことの本質は見えてきません。日本の政治は以前と比べると相当にクリーンになっています。戦後の代表的な疑獄事件のひとつに1976年のロッキード事件があります。田中角栄元首相が5億円の裏金を受け取ったとして逮捕されました。92年の佐川急便事件で金丸信元副総理がもらったのも5億円でした。
近年、それほど大きなカネのやりとりはありません。衆院の選挙制度を94年に中選挙区制から小選挙区制に改め、自民党の派閥同士の競合をなくした効果は間違いなく出ています。
カネを出す企業の側もコンプライアンスが問われるようになり、簡単に裏金を捻出できなくなりました。合法的な政治献金であっても、もの言う株主に「無駄な出費で会社の利益を毀損した」と訴訟を起こされかねませんので、常識外れの大金は出せません。
にもかかわらず政治とカネの問題がなくならないのはどうしてでしょうか。そこには永田町の構造的な変化が絡んでいます。
事件が起きると国会議員はしばしば「秘書がやったこと」と釈明します。そんなわけないだろうというのが世間のおおかたの反応ですが、雇い主である国会議員が自分の秘書はどんな人かをよく知らないということが最近の永田町にはままあります。
わたしが政治記者になったのは30年以上前ですが、当時は国会議員の自宅に取材に行くと書生さんが出迎えてくれることがありました。政治家は選挙区の名士であり、支持者に「うちの息子が東京の大学に入ったから面倒みてくれ」と頼まれたのです。
その書生が大卒後に秘書になり、政治経験を積むと地元に帰って県議選に出る。こうしてひとつの政治ファミリーができていました。身内同然ですから、奥さんとけんかした、金遣いが荒くなったなどの話は議員も自然と把握していました。
■「仕事のつきあい」になった議員と秘書の関係
社会全般で人付き合いが希薄になったいま、永田町でもこうした親分子分関係はあまり目にしなくなりました。国会議員も選挙向きの若手が候補者になることが増え、自民党の二階俊博総務会長のような議員秘書から県議を経て国政の場に戻ってくるケースはまれです。
事務所をどう運営すればよいのかがよくわからない若手議員と、就職先のひとつとして事務所入りした秘書。いわば仕事のつきあいです。となると、議員も使い勝手のよい秘書を重用しがちです。
「腰が軽い」「人あしらいがうまい」と評判になり、議員の任期中によその事務所に引き抜かれることもあります。ファミリー型でも、議員の思想信条に共鳴した政治同志型でもない、いわば「お仕事」型の秘書が増えています。
いずれ自分も選挙に出るとなれば、身ぎれいにしておく必要がありますが、秘書が一生の仕事ならば、役得に預かりたくもなります。つい不明朗なもうけ話に手を出して……。
同じ「秘書が、秘書が……」でも、議員が自分の悪事を秘書のせいにした時代から、秘書の悪事を議員が監督できていない時代へ。先ほど構造変化と書いたのはこのことです。
もちろん議員の方もお粗末な人が少なくないのですが、こちらも巨悪というよりもこそ泥のような悪事が増えています。かつてのファミリー型の秘書ならば「オヤジ、それはまずい」といさめたはずです。
「お仕事」型の秘書の中には国会議員にこんな話を持ちかけてなった人がいます。「自分にあなたの秘書と名乗らせてくれれば年にこれこれのカネを事務所に入れます。給料はいりません」
どう考えてもあやしげな話ですが、次の選挙は厳しそうとか、そろそろ大臣になりたいので党の幹部に付け届けをしたいとかの事情があるとついOKを出しがちです。
肩書を使ってどうやってカネ集めをするのか。事務所に入れる額よりも秘書が自分のポケットに入れている額の方が大きかったりしないのか。議員ももはや聞くに聞けない。そんな事例に出くわしたこともありました。
こうした不明朗な関係を正すにはどうすればよいでしょうか。次回はそれを考えていきたいと思います。
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